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大分地方裁判所 昭和40年(行ウ)11号 判決 1968年5月24日

原告 渡辺マチ子

被告 大分県知事

主文

被告が別紙目録(一)記載の土地について原告に対し昭和三九年一〇月二八日付通知書によつてなした売渡処分を昭和四〇年九月一四日に取消した処分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

(一)  原告は、主たる請求として「主文同旨」の判決を、予備的請求として「被告は原告に対し、別紙目録(二)記載の土地につき、農地法第六一条に基く売渡処分をなせ。被告は原告に対し、右売渡に基く所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は被告の負担とする」との判決をそれぞれ求めた。

(二)  被告は主たる請求に対して「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を、予備的請求に対して「本件訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決をそれぞれ求めた。

第二、主たる請求についての当事者双方の事実上の主張

(請求原因)

(一)  被告は原告に対し、昭和三九年一〇月二八日付売渡通知書をもつて別紙目録(一)記載の原野(以下本件売渡原野と称する)を売渡期日同年一一月一日、代金一六、〇〇〇円と定めて農地法第六一条に基き売渡す旨の処分をなしたが、昭和四〇年九月一四日に至つて、この売渡を取消す処分をなした。

(二)  しかしながら、右取消処分は単に右原野の麓の部落民が原告の開墾に反対したためになんの取消原因もなくなされた違法な処分であるから、これが取消を求める。

(請求原因に対する答弁)

請求原因事実のうち(一)の事実は認めるも、その余は否認する。

(被告の主張)

被告が本件売渡処分を取消したのは、次のとおり正当な事由に基くものである。

即ち本件売渡原野を含む大分県臼杵市大字海添の原野一九七、七六五平方メートル(以下本件買収原野と称する)はもと訴外稲葉順通の所有であつたが、昭和二三年自作農創設特別措置法第三〇条に基いて未墾地として国に買収せられ、このうち八五、八八四平方メートルについては農林大臣において昭和二九年一一月四日付をもつて開拓不適地として農地法第八〇条第一項所定の「自作農の創設又は土地の農業上の利用の増進の目的に供しないことを相当と認め」る旨の認定(以下「不要地認定」と称する)をなし、昭和三一年五月一六日その旨被告に通知した。

ところで本件売渡原野のうち別紙添付図面(二)に表示の<イ>部分(以下<イ>部分と称する)は右の不要地認定地域内にあるが、同<ロ>部分(以下<ロ>の部分と称する)は右認定地域外に位置する。ところで右不要地認定地域とその地域外との境界線(以下不要地認定線と称する)は地区土地配分計画において作成する配分図において引かれる概略の線であり、右認定線によつて現地を開拓適地(開拓要地)と開拓不適地とに区分するに際しては、現地の実際の具体的状況によつて、その線を幾分移動させて、適地不適地の境界を確定するのが実務の慣行であり、この確定線は不要地認定線と同視すべきところ、<ロ>部分は右の認定線によれば開拓不要地の範囲には入らないが、右のように現地において修正された確定線によると開拓不適地の範囲に含まれるから、<イ>部分と同様に不要地認定地域内にあるものとして同法六一条による売渡しをなすべきではなく、同法第八〇条により旧所有者え売払いをなすべき土地である。そしてこのことは前示被告に対する不要地認定の通知及び被告作成の実測図により、被告及び管轄の臼杵市農業委員会には明らかな事実であつた筈にもかかわらず、同委員会がこれを看過し、不要地認定地域外の開拓適地と誤認し、昭和三九年の海添地区の土地配分計画に際してこれを原告に売渡すべく被告に進達したため、被告はこれに従い、同原野を他より分筆のうえ本件売渡処分をなしたのである。従つて、右のように農地法第八〇条第一項に基づく農林大臣の認定に反してなされた本件売渡処分には明白な瑕疵があり、かつこれによつて売払を受けうる旧所有者の利益を侵害する重大な結果をもたらすものであるから、右売渡処分は重大且つ明白な瑕疵を有する当然無効の処分である。従つて、被告は右売渡処分の無効宣言の意味において本件取消処分をなしたものである。

(被告の主張に対する反論)

(一)  被告の主張のうち稲葉順通所有の本件買収原野が自創法により未墾地買収せられ、その後その一部につき不要地認定がなされたこと、本件売渡原野が右買収原野から分筆せられ、そのうち<イ>部分が不要地認定地域に含まれていることは認めるが、その余は否認する。同農業委員会は本件売渡原野の一部が不要地認定地域にかかることを十分知つておりながら売渡したもので、被告の主張するような誤認はない。

(二)  また農地法第八〇条第一項の「認定」は、一応開墾適地と不適地とを区分する行政処分であつて、同法施行令第一七条による旧地主への右認定通知がなされて始めて、その処分の効力が生じるものと解すべきであり、本件は右通知前に原告に売渡処分がなされ、且つその後原告によつて既に農業の用に供せられているから旧地主に売払うことを理由として右処分を取消しえない。

(三)  一歩譲つて、本件売渡処分に被告主張のとおりの違法な瑕疵があるとしても、以下に述べる理由によりこれが取消は許さるべきではない。

原告は本件売渡処分後直ちに労力、費用を投入して、本件売渡原野の開墾に着手し、昭和四〇年の梅雨期にはミカンの苗木が植えられるように準備していたところ、被告は右原野の麓にある部落民から、原告が右開墾することに反対する嘆願を受けたため、原告に対し右原野にほぼ隣接する別紙目録(二)記載の各原野をその替地として売渡す旨申出でた。そこで原告はこれに応じ、被告の承諾もえて右替地の方の開墾に着手したところ、被告は右替地についてもまた右部落民の同様の反対が起つたので、替地の申出を一方的に撤回し、そのうえ処分後一年余も経過して突然本件売渡処分を取消すに至つたものである。しかも他方において右売渡処分後その取消前、即ち右替地等で原、被告が係争中に不要地認定がなされて一〇年余り経過した後に至つて突如被告は本件買収原野の旧所有者稲葉順通の一般承継人たる稲葉直通外五名に対し本件取消処分前である昭和四〇年七月二七日不要地認定地域(地積八五、八八四平方メートル)に右認定地域外にある開拓適地をも加え一一二、四五二平方メートルの原野の売払を農林大臣をしてなさしめ、且つ、その売払手続については、右売払日附の後、事後的に農地法第八〇条同法施行令第一七条等所定の売払をなすに必要な書類を形式上取りそろえた疑が強く、したがつて、本件売払行為は法の定める正当な手続を経ることなくなされたもので、適法な売払ではない。しかも、原告以外に全部又は大部分が不要地認定地域内にある原野の売渡を既に受けているものがいたのに、これらの部分は右不要地認定に併う旧所有者稲葉えの売払より除外されている。

以上のとおり、被告の本件取消処分は、被告において当初から不要地認定地域に一部かかることを知つてその売渡処分をなしていながら、後に至つて不要地認定地域内であるということに藉口してなされたものであり、そのうえ、近隣に同様の事例があるのに、原告に対してのみなされた全く恣意に基ずく処分である。かかる処分は原告の生活乃至権利状態における法的安定を欠き、買受人たる農民の信頼ならびに利益を著しく害するもので、右の法的価値の侵害は、買収前の所有者の売払を受けざることによる利益侵害より以上に法的に保護せらるべきであるから、被告においてこれを取消すことは出来ない。

(原告の反論に対する答弁)

原告と替地の交渉をなしたが関係部落民の嘆願により右交渉を徹回したこと、稲葉直通らに対し不要地認定の通知ならびに売払がなされたこと、その売払つた原野部分が一一二、四五二平方メートルの地積があり、また不要地認定地域内の一部は原告以外の第三者に既に売渡され、この部分を右売払から除外したことは認めるが、その余は否認する。

替地の交渉については被告において更に別の替地の交渉も申入れたが、原告はこれを拒絶した。売払については、原告との右替地の交渉に月日を経過している間に被告の知らないまま農林大臣においてなしたものである。売払原野の地積が不要地認定の地積よりも広いのは、前者は売払をなし登記手続をなすために改めて現地を実測して得た地積であるに反し、後者は地区土地配分計画樹立のため大略の実測によつて得られた地積であり、そこに両者の誤差が出たのである。不要地認定地域内の他の第三者への売渡部分を旧地主稲葉え売払わなかつたのは、右売渡後五年余りも経過し、開墾もほぼ完了していたので、右稲葉の了解を得たうえで売払部分から除外したものである。

第三、予備的請求についての当事者双方の事実上の主張

(請求原因)

別紙「申立の原因」記載のとおりである。

(答弁―本案前の答弁)

別紙目録(二)記載の原野については、原、被告間において何らの売渡手続もなされておらず本訴は単に売渡処分たる行政処分を求めるために提起された不適法な訴であるから、却下を免れない。

第四、証拠関係<省略>

理由

第一、主たる請求に対する判断

一、被告が原告に対し、別紙目録(一)記載の原野(本件売渡原野)につき、農地法第六一条に基く売渡処分をなし、昭和三九年一〇月二八日付売渡通知書を交付したこと、昭和四〇年九月一四日付で右売渡処分を取消す旨の取消通知書を交付し、もつて右処分を取消す処分をなしたことは当事者間に争いがない。

二、ところで被告は右取消処分の理由として、右原野については既に農林大臣の農地法第八〇条第一項所定の「認定」がなされているから、同条第二項により当然に買収前の旧所有者に売払うべきものであるのに、右売渡処分はこれに反してなされた違法な処分であつて当然無効であるので、その無効宣言の意味において右取消処分をなしたものであると主張するので、先ずこの点につき検討する。ところで本件売渡原野のうち<イ>部分が被告主張の昭和二九年一一月四日付不要地認定地域に含まれ、<ロ>の部分が右認定地域外に位置することは当事者間に争いがない。

(一)  先ず被告は<ロ>部分は右のとおり不要地認定地域外にあるけれども、同地域と同様にみるべきで、この部分の売渡も当然無効であると主張する。しかし、農地法第八〇条第二項は、農林大臣自ら同条第一項所定の「認定定」をなした場合にのみ、かかる認定土地の区域内の土地その他の物件を旧所有者に売払うことを義務づけたものに過ぎないものであり、被告のなす右「認定」地域の現地確定は単にその後の個別具体的配分計画手続上の事実行為にすぎないと解されるから、右の如き現地の確定行為には何んらの法的効果も発生するはずがない。従つて、本件売渡原野の<ロ>部分は、右のとおり「認定」地域外であるから、同部分の売渡に誤認があつたとしても、その売渡は適法であり、仮りに被告主張のとおり農地法第八〇条違反の売渡処分を無効とする見解に立つても、なお<ロ>部分についての被告の原告に対する本件売渡処分が当然無効となるわけではなく、また同部分それ自体に関する限りは、その売渡処分を取消しうべき瑕疵も存在しない。のみならず、成立に争いのない乙第一号証によれば、農林大臣から被告に対して本件不要地認定の通知がなされたのは昭和三一年五月一四日であることが認められ、被告としても同日までは右不要地認定の事実を知らなかつたであろうと考えられる一方、被告において右認定後その認定線を現地に確定して作成したと主張する成立に争いのない乙第六号証によれば、同号証の売渡実測図は昭和三〇年二月に作成されていることが認められ、これに成立に争いのない乙第七号証を対比してみるとき、右実測図に記載の売渡予定地域と他の地域とを区分する線をもつて被告は不要地確定線と主張しているものと解される。そうすると、右被告の主張する不要地確定線、即ち右実測図上の区分線が果して被告の前示主張においていわんとする不要地認定線を現地におろして顕出されるべきはずの不要地確定線と同一であるかどうかは、右「認定」通知の日時と乙第六号証作成の日時の前後関係に照して疑わしいのであつて、不要地確定線に関する被告の主張はその前提要件の存在自体もまた証明がなく、理由ないものとしなければならない。

(二)  そこで、<イ>部分が農林大臣のなした農地法第八〇条第一項所定の「認定」地域内に位置すること前示のとおりであるから、この部分の売渡処分が被告の主張どおり当然無効であるか否かにつき判断する。

(イ) 一般私有財産に対する国の公権力行使としての収用は、正当な補償と公共目的使用の要件を充足する限度において許容されている。そして右収用後、事情の変更により当初の収用目的たる公共利用の目的が消滅し、かかる目的に使用する必要がなくなつた被収用財産については、これを被収用者に返還して、その権利を回復せしめる機会を附与することが公平の原則あるいは社会的感情にも合致し、憲法第二九条の精神にも則るものと解される。しかしながら、例え右のようにその後の事情の変更によつて公共目的を喪失した被収用財産であつても、収用時においては前示収用の要件を具備している限り、その収用については瑕疵がなく、その財産の所有権などの権利は適法に国に帰属しているのであり、右事情の変更により右収用の効力が遡つて失効しその権利が被収用者に当然に復帰するわけではなく、なんらかの法律の規定をまち、その所定の要件を充足して初めて復帰するものである。そして具体的に如何なる方法によつて収用財産を被収用者に返還するかは、それを認めて制定された個々の法律の規定によつて決められるところであり、その返還行為を行政行為とするか私法行為とするか、又、被収用者の返還を受け得べき法的地位を具体的に如何なる内容、性質の権利、利益の形態をもつて保障するかは、立法者の意図するところに委ねられることがらである。

(ロ) ところで農地法又は自創法により買収された土地等に関する右旧所有者への返還については農地法第八〇条に定めるところであり、同条の制定趣旨もまたこれまでに述べて来たところと同様である。

そこで同条は具体的に如何なる方法で被買収者への買収土地等の返還をなすことを定めているのかを検討するに、同条第一項は国有財産のうち普通財産の管理処分権者が大蔵大臣であることを定めた国有財産法第六条の特則(同法第一条参)として、農地法第七八条第一項により行政財産としていつたん農林大臣の管理するに至つた土地等については、その後になつて「自作農の創設又は土地の農業上の利用増進の目的に供しないことを相当と認め」られると、本来なら国有財産法第八条によつて大蔵大臣に引継がれるべきところ、当初農林大臣において管理するに至つた経緯に鑑み農地法第八〇条により特に右引継をなすことなく、引続き農林大臣にこれを管理せしめるのみならず、売払、所管換又は所属替などこれが処分権限までも右大臣に附与したものであり、いいかえれば、農林大臣にこの種国有財産の一貫した管理処分行為をなさしめる前提として、もともと自作農創設等の公共目的にその用途を制限せられていた行政財産の用途制限を右「認定」によつて自ら廃止せしめる権限を右大臣に附与し、もつて行政組織内部における国有財産の管理処分上の非融通性を除去し、これが運営に有機的効果性を図つた規定であると解される。ところで国有財産法上の「売り払い」は、いわば国の私有財産である普通財産の処分行為であるから、原則として一般私法の適用を受ける私法行為と解されるところ、農地法第八〇条第一項にいう「売り払い」についても右同様国の普通財産の処分行為であるので、国とその買受人との間の一般私法上の契約と解することができる(この点同条と同様の趣旨で所管省庁の長に売払の権限を附与したものと解される国有財産特別措置法第七条及び社寺等に無償で貸付けてある国有財産の処分に関する法律第二条等においては、その売払が契約であることを明文をもつて規定している)。尤も、右売払をなすには、多分に行政的技術的価値判断を内包する同項の「認定」をその前提として要求されており、農林大臣の公権的、行政的立場からする裁量的判断を介在せしめ(「認定」をなすうえでの制限規定である農地法施行令第一六条のうちの第四号は、このうえ更に重複的に同項所定の要件につき同大臣の裁量的判断を介在せしめている)、あるいは、売払の具体的手続を定めた同法施行規則第五〇条は被売払人の提出する買受申込書に「用途」を記載せしめ、且つ「相当と認めるとき」に売払をなす旨規定しており、この点も同大臣の行政的立場からする裁量的判断が介在しているのではないかとの疑問がある。しかしながら前者即ち「認定」の点については前述のとおり行政庁の国有財産の管理処分等の運営上必要とされる内部基準に関することがらであるに過ぎず、その後右基準に従つてなされる売払、所管換等の処分、管理行為とは段階的に区別されるものであり、右認定行為が直接に売払に結びつき、その公権的色彩を売払行為に投影し、もつて売払行為を行政行為と解することは相当ではない。このことは右「認定」後当該土地などを大蔵大臣に所管換して、同大臣が売払う場合を想定すれば容易に理解しうるであろう。後者即ち同法施行規則第五〇条の関係については、売払いうる土地であり、普通財産であつても、国有財産である以上終局的には国又は公共の利益のために使用さるべき性格をぬぐい去ることは不可能であるし、また国有財産の処分などには特定国民の私利私慾が介在する可能性が大きいから、右の意味での公共の利益目的に利用せしめ、不正な運営阻止のため国有財産の処分に制限を設けるべきことは当然であり、国有財産法第二一条以下に、かかる趣旨の規定がおかれており、特に同法第二九条に「用途指定の売払」が規定されているが、この売払についてもこれを必ずしも行政的、公権的立場からなされる国有財産の処分行為、即ち行政処分と一概に解することはできない。いいかえれば、国有財産は終局的に国又は公共の利益のため使用さるべき性質を帯びている財産である以上、その処分行為には、多少の程度の差はあれ、行政目的の介在を余儀なくされるところであるが、それ故にこれらの行為全てを直ちに行政行為と解するのは相当ではなく、従つて、同規則第五〇条が買受申込書に「用途」の記載を求め、「相当と認めるとき」にのみ売払をなす旨規定していたとしても、同条をもつて国有財産法上の「用途指定の売払」より一歩出でた行政的規律と解し、あるいは一般の国の普通財産の処分についてもそれに伴う公益合致の判断と異るものと解することは、いずれも妥当ではなく、同条の規定の存在をもつて農地法第八〇条第一項の売払を私法行為とする解釈の妨げとなるものではない。

(ハ) そして、農地法第八〇条第二項にいう「売り払い」の性質についても同第一項のそれと同じく、一般私法上の契約と解することができる。そこで同条第二項は旧地主に右私法上の売払請求を認めた実体法規定であるか否かが問題となるが、同項は「農林大臣は売り払わなければならない」と農林大臣の側面からの規定をおくのみで、土地収用法第一〇六条においては被収用者に形成権としての買受権を附与し、その買受権の行使に抵触する一切の法律関係を否定しうる程度の強い効力を与えているが、これに相当するような私法上の権利を旧地主に与える明白な実体法的効力規定は農地法にはなく、また、その売払手続も農地法第八〇条第一項の一般の売払と同様に同法施行規則第五〇条に従つてなされることに鑑み、旧地主の売払請求権取得の要件を定めた明確な規定を欠くことから考えても、同法第八〇条第二項は旧地主に売払請求権を設定する規定と解することはできない。従つて、同項の定めるところは、農林大臣が同条第一項において売払をなす場合に、その土地等が同条第二項所定の買収土地であるとき、買収前の所有者を優先的に売払の相手方とすべきことを農林大臣の売払基準として定め、同大臣に同条第一項にて附与された売払権限を行使する際に、右基準に従いその職務権限を行使すべきことを義務づけたものであり、国有財産の管理権限ないし管理基準を定めた国有財産法の特則たる性格を一歩も出でないものと解される。以上のとおり同条第二項の規定は、単に特殊の国有財産の管理権者に対する権限行使上の遵守規定であり、国民との関係において権利義務を定めた実体法規定ではなく、ましてや一般私法上の有効要件に関する特別規定でもないから、同項に反してなされる国有財産の処分が当然無効となるものではない。

農地法第八〇条を以上のとおりに理解する限り、旧地主は本件の如く「認定」がなされただけの段階においては、いまだ被買収土地に対する具体的権利を取得するわけではなく、単に抽象的、期待権的利益を有しているに過ぎないものと解される。このことは「認定」を対国民との関係において当然通知、公告をなすべきことを義務づけた規定がなく、単に行政庁の内部的判断の状態にとどまつていることからも明らかである。尤も、同法施行令第一七条は同法第八〇条第二項所定の土地につき「認定」をなした場合には、旧地主に対して「認定」の通知をなすべきことを定めているが、これは「売り払い」をなす場合の売払手続に関する規定にすぎず、右「認定」がなされた一切の場合に常に右の認定通知をなすべきことまで定めているわけではなく(同法第一項、同法施行令第一七条、同第一八条第二、三項参)従つて、国民に対する「認定通知処分」なる行政処分をなすことを義務づけたものとは解されない。唯右の認定通知がなされた以上は、農林大臣は旧地主に当該土地を売払う手続をとる意思を対旧地主との関係において表明したものと理解されるので、右認定通知によつて旧地主の売払を受けうべき利益はより具体的現実的なものとなつたものと解される。

(ニ) 以上によつて、本件売渡原野の<イ>部分の売渡処分にそれを当然無効とする程の重大且つ明白な瑕疵があるかどうかをみるに、被告主張のように、仮りに本件売渡処分に被告の誤認があつたとしても、(1)、本件売渡原野の旧地主が、本件売渡処分によつて侵害されたと考えられる利益は、前述のとおり農林大臣の遵守義務に対応する抽象的、期待権的利益にとどまること。(2)、しかも本件売渡処分は昭和三九年一〇月二八日付の売渡通知書をもつてなされたことは前示のとおりであり、成立に争いのない乙第一一号証の一ないし六によれば旧地主たる稲葉順通の一般承継人に対して農地法施行令第一七条による認定通知がなされたのは、その後の昭和四〇年四月二七日であることが認められるところであるから、本件売渡処分は右認定通知もなされず、単に行政庁の内心的判断たる「認定」がなされた段階に止る時点、即ち、右のとおり旧地主の売払を受けうべき利益が未だ抽象的、期待権的利益にとどまり、いまだ具体的現実性を備えるに至らない段階においてなされたものでその利益侵害の程度もそれほど重大とは考えられないこと。(3)、更に当事者間に争いなき事実ならびに成立に争いのない甲第三及び第四号証、乙第七及び第一三号証、証人大津成人(第一回)及び同後藤政美の各証言によれば、本件売渡処分を取消す以前の昭和四〇年七月二七日、農林大臣は稲葉から買収した大分県臼杵市海添地区の原野一九七、七六五平方メートルのうち前示不要地確定線によつて開拓不要地とされた地域(従つて農林大臣のなした不要地認定線を超える地域もそこに含まれる)一一二、四五二平方メートルを右稲葉の一般承継人たる稲葉直通に売つたが、本件売渡原野も全地域これに含まれており、そのうち農林大臣の不要地確定地域の範囲に含まれる<イ>の部分の地積はわずかに一、九八三平方メートルにすぎず、しかも右売払部分には本来売払をなしえないはずの不要地以外の部もかなり含まれていた反面、その全域不要地認定地域内にある原告以外の者に売渡した部分については原告の場合と異り、右売払原野部分から除外されていることが認められ、右認定に反する証拠はないが、右認定事実は、広大な山林原野の売払手続においては農林大臣の不要地認定線に完全に合致させて、その現地を特定することは不可能であり、図上における認定線を実地にあてはめるには、地勢により多少の誤差が生ずることが避けがたいことを意味するのであるが、これと全く同じことが、広大な山林原野の売渡処分をなす手続においても同様にいえることである。つまり、売渡地域が一部不要地認定地域内にかかつたからといつて、その部分を直ちに無効のものものとすることは、右のように現地えのあてはめに際して実地における状況を無視することともなり、このように解することは困難でかかる程度の利益侵害は旧地主においても受忍すべきものと考えられること。(4)、更に、検証、(第一、二回)、原告本人尋問の結果によれば、本件売渡原野附近一帯はミカン畑としていずれも開墾せられており、原告もまた同様ミカンを栽培するため本件買受申込をなしたのであること、同原野は多少勾配は急であるが、附近のミカン畑と概ね同じ位で、ミカン畑として開墾するに不可能ではなく、現実に原告においてここにミカン苗を植えるため開墾に着手していたことが認められ、これを覆す証拠はなく、従つて、本件売渡原野は農林大臣の「認定」にかかわらずなお農業の利用増進に役立つ土地として売渡処分がなされたのであり、現実にも右処分を有効に維持する限り、原告によつて右公共利用目的の実現が達成せられる結果となると考えられる。そして、農地法施行令第一七条第一八条第二号はいつたん公共目的のために買収された農地について旧地主に売払をなさない場合の規定であることも考え合せるとき、その限りにおいて旧地主の売払を受けうる利益は縮少せられたものと解されること。

以上の諸事実からみれば、本件売渡原野の<イ>の部分につき農林大臣の「認定」がなされたにも拘らず、農地法第八〇条による旧地主の権利回復の利益はその強固性乃至確実性に乏しく、且つ縮少せられたものと考えられるから、仮りに本件売渡処分に被告が主張するような瑕疵があるとしても、その処分の効力を持続せしめることによつて、公益上あるいは旧地主の利益の面においても、これを受忍できない程重大な結果をもたらすとは考えられず、従つて右処分における瑕疵の明白性の判断はさておき、これを当然無効とするほどの重大な瑕疵ともいえず、被告の当然無効の主張は理由なきものといわねばならない。

三、ところで、被告主張の本件売渡処分に存する瑕疵によつて、同処分が当然無効となるとの前項の被告の主張には、予備的に、右の瑕疵は行政処分を失効せしめるための取消事由にも該当するから、かかる文字どおりの処分取消の意味において、本件売渡処分を取消した旨の主張も含まれていると解されるところ、国民に権利義務を設定する種類の行政処分については、たとえその処分に違法の瑕疵が存在していたとしても、単にそのことのみをもつて行政庁が職権により同処分を容易に取消しうるものではなく、同処分を取消すことによつて被処分者にその蒙る不利益を受忍せしめてもなお取消すことを許容される程の公益上の必要性ある場合に限つてこれが取消を認むべきであるから、かかる観点から被告の主張する本件売渡処分の瑕疵がその処分の取消事由に該当するか否かを検討する。

(イ)  本件売渡処分時においては農林大臣の「認定」のみがなされたに過ぎなかつたことは前認定のとおりであり、かかる時点における旧地主の被買収土地に対して有する権利、利益には、前項説示の程度の強固性があるにすぎないから、右時点を判断の基準時にする限り、本件売渡処分を取消すことによつて確保せられる法的価値は、旧地主に右の期待権的利益を受けうべき地位を回復せしめることと農林大臣の法の遵守に伴う法治主義の維持以外には考えられないのみならず、前判示のとおりその売払原野全体の地積からみれば、本件売渡原野は<ロ>の部分を含めてもその一割の地積にも満たない僅少な部分にすぎないし、その後旧地主の一般承継人たる稲葉直通はそれを補うに余りある不要地認定地域外の原野の売払をも受けているのであり、このうえなお本件売渡処分を取消してその部分までも旧地主に返還しなければならない程の公益上の必要が果してあるかは疑問としなければならない。尤も、(1)、右売渡処分後の昭和四〇年四月二七日旧地主の一般承継人たる右直通外に対し農地法施行令第一七条に基く認定通知をなしていることは前述のとおりであり、更に成立に争いのない乙第一三号証には、同年七月二七日付をもつて右直通に本件売渡原野も含めて本件売払原野を売払つた旨の記載があり(但し、甲第三及び第四号証によれば右売払に基ずく登記手続においては、その登記原因たる売払の日時を昭和四〇年八月二〇日としてなされていることが認められる)、同記載のとおりであるとすれば、本件売渡処分を取消した時点においては、旧地主の承継人たる稲葉直通において本件売渡原野の所有権そのものを取得したことになるから、その回復しうべき利益は所有権という強固な具体的権利となり、かかる権利回復の意味での本件売渡処分の取消の必要性が重大化するといえるものの、瑕疵ある行政処分の取消処分における取消事由の存否の判断は、原処分成立の時点においてなされるべきが原則であること。(2)、ならびに本件売払の手続は「認定」後約一〇年を経過し農地法第八〇条第二項に旧地主の一般承継人をもその買受資格者として加える法改正がなされた昭和三七年(同年五月法第一二六号)から起算しても三年を経過し、且つ原、被告間に本件売渡処分の適否につき抗争が生じ、その解決交渉がなされている時に、急きよとられた手続であることを合せ考えるとき、売渡処分後に旧地主に売払手続が進められたことは本件売渡処分の取消の適否を判断するうえに考慮にいれるべき事実と解することは出来ない。

(ロ)  他方前段説示のとおり、原告は本件売渡処分を受けた後直ちに開墾に着手し、検証(第一、第二回)の結果及び原告本人尋問の結果によれば、右開墾において約五〇、〇〇〇円の経費をかけて本件売渡原野に生立の雑木を伐採し、ここに植えつけるべきミカンの苗木約五〇〇本を購入し、昭和四〇年の梅雨期にはその植付けができるよう一切の準備も整えていたことが認められ、右に反する証拠もないから、原告の右開墾に投入した労力及び資力を全く無視することも出来ないし、且つまた右売渡処分を有効に維持するにおいては、同原野は原告においてミカン畑として開墾され当初の買収目的どおり農業の利用増進という公共目的に合致して利用され続けることは十分推測しうるところであるから右処分を維持する公益上の必要すら十分存在しうるものといえる。

(ハ)  更に、成立に争いのない乙第四ないし第七号証、証人仲野敬次郎、同大津(第一、第二回)、同後藤、同藤沢幸生及び同山下薫喜の各証言、原告本人尋問の結果、検証(第一、第二回)の結果及び弁論の全趣旨を綜合すれば、本件売渡処分は被告の昭和三九年七月に樹立した前記海添地区の地区土地配分計画に基き、農地法上の適法な手続を経てなされたものであるところ、右処分後原告において売渡原野の開墾に着手するや昭和四〇年六月頃に至り同原野の麓にある部落民から被告に対して、右開墾は山崩れを誘発する虞れがあるので(尤もこの危険の存在を認めるに足りる証拠はない)取止めさせるよう嘆願書が提出せられたため、被告はこの解決策として、原告に対し同原野の替地として別紙目録(二)記載の原野を売渡す旨の条件を右開墾の中止方を申出たところ、原告は開墾着手後ではあるけれども已むを得ずこれに応ずることになつたこと、そこで被告は直ちに管轄農業委員会に原告のため右売渡手続をなすよう勧告し、同委員会をして右替地の土地配分計画樹立をなさしめ、原告の立会のもとに境界確定も行い、原告に早急に買受申込手続をとるよう指示したこと、しかるにその後右替地は農地法第七二条による買戻原野であり一度第三者に開拓適地として売渡された原野であるから開墾適地であるはずであり、且つまたこの替地についても本件売渡原野について生ずるとされたと同様の危険が予想されるとして、その防止のために必要な措置について当初から話合がなされ、関係者間の了解を得ていたにも拘らず、原告が右替地の開墾に着手するや同部落の再度の抗議が起り更には右防止施設に要する費用の関係もあり被告は原告に対し右替地の申出を徹回し、別の第二の替地の提供を申出でたが、これは地理的関係において原告の応ずるところとならなかつたこと、そしてその後一ケ月足らずの内に、本件売渡原野は開拓不要地であり不要地認定地域内にあることが判明したとして、これを理由に他の不要地認定地域とともに売払をなしたうえ本件取消処分に出でたこと、しかし少くとも右売渡手続を直接担当した管轄農業委員会は同売渡原野の一部が不要地認定地域内にかかることを知つており、しかもこの程度なら必ずしも違法ではないとの認識のもとに、右売渡手続をとつたことが認められ、右の認定を覆すに足りる証拠はない。

以上の各認定ならびに弁論の全趣旨を勘案するとき、本件売渡原野が開墾に必ずしも不適地でなく現実に開墾に着手せられ、その公共目的利用が具体化されんとしたにも拘らず、被告において関係部落民の反対嘆願を受けるや直ちに動揺し、その替地の交渉に乗出してその売渡しの内諾を与え、更にはまたこれを徹回し、あるいは不要地認定地域であることに藉口して本件売渡処分を取消すに至つたものであることから考えると右取消処分は全く恣意的な公権力の行使であり、かかる行使により処分の相手方たる原告の行政庁としての被告への信頼を裏切り、原告の被告に対する不信感を増大せしめ、その法的生活関係の安定ないし法秩序を著しく侵害したものということができ、これにより原告の蒙るべき不利益もまた本件取消処分の適否の判断上重視しなければならない要素である。

以上に説示した本件売渡処分を取消し、あるいは取消さないことによつてもたらされる各結果を比較的考量するとき、被告主張の瑕疵の存在をもつてしては、未だ本件売渡処分に、それを取消すことによつて原告に生ずる前示各不利益を受忍せしめることが許容されるほどの公益上の必要性が存在するものと解することは出来ず、従つて被告はその職権をもつて本件売渡処分を自ら取消すことはできないというべきである。

第二、そうすると被告のなした本件取消処分は、その正当な取消事由なくして原告の取得した権利を剥奪する違法な処分というべく、本件売渡処分の取消処分の取消を求める原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三好徳郎 島信幸 川本隆)

(別紙)

申立の原因

一、被告は原告に対し昭和三九年一〇月二八日附の番号三九<未>NO二三四号で前記土地の売渡の通知為す旨の通知書を送来したので原告は同年一二月一四日右代金を支払つた

二、ところが被告は昭和四〇年九月一五日農開第六、六六二号で前地未墾地売渡の取消を通知してきた

三、よつて原告は同年一二月一一日右取消通知の取消請求の訴を提起目下右訴は御庁に繋続審理中である

四、原告に対しては右取消通知前に臼杵市農業委員会から前記の土地の売渡しについては地元民から売渡反対の嘆願があつたことが原因であるから別紙目録記載の土地を代地として売渡したき旨の申入れがあつたので原告もこれを諒として承諾したので県の係員二名臼杵市農業委員会係員三名立会の上右代地の売渡を双方納得臼杵市農業委員会は直に被告に対し右売渡許可の申請をした

ところが、被告は右代地の売渡しにも応ぜず更に第二の代地を提示してきた

五、然しながら右第二の代地は原告の住所より往復共約一時間を要する遠地にて耕作、水利共極めて不利不便にして当底この提示に応ずることができない

六、原告としては前記売渡通知のあつた土地は原告が現在耕作している土地の隣地にして耕作、水利共利便なところであるから是非共これが売渡を希望するものではあるが被告の売渡しにつき地元民の反対嘆願書も提出されているとのことであるから被告の立場を考慮して第一の代地の売渡しには応じてもよいと思料するので本申立に及んだ次第である

仍原告が売渡の通知に接した土地の面積は四反歩(三、九六六、九〇平方米)であり原告の本請求の趣旨の変更によつて請求する土地の面積は合計九、〇八六、四四平方米にて其の面積に大巾の開きはあるが原告としては売渡通知の到達した昭和三九年一一月から取消通知の到達した昭和四〇年九月までの間に既に原野の開墾に着手し工事其他の費用として金五万円也を投じていたので右工事費の代償として別紙目録記載の土地の過剰面積を提供する旨を被告方の出張吏員と臼杵市農業委員会の立会吏員と原告との間に於て協定ができているのであるこれをも合して請求する次第である

(別紙目録、添付図面省略)

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